□メンデルスゾーン序曲「静かな海と楽しい航海」 Op27
第1章 作曲の経緯
この音楽はゲーテの「静かな海」と「楽しい航海」という2編の詩から着想を得て作曲されている。2編の詩のタイトルはドイツ語で「Meeresstille」と「glückliche Fahrt」。直訳すると「海上の凪」と「成功した航海」となるが、「静かな海と楽しい航海」と訳されることが一般的である。
ゲーテの2つの詩はもともと独立した別々のものであったが、これを並べて音楽にすることを思いついたのはベートーヴェンだった。1814年頃にベートーヴェンは2編の詩を混声4部合唱と管弦楽のためのカンタータとして作曲し、のちにこの作品はゲーテに献呈された。ベートーヴェンがゲーテに宛てた手紙には次のような一節がある。
『海上の凪、成功した航海、この2つの詩のコントラストは音楽で表現するのに相応しいと私は考えました。私が付けたハーモニーが閣下(ゲーテ)の詩に適切であったかどうかを知る事ができれば幸いです。』
そしてメンデルスゾーンも1830年、この偉大なる先人に追随した。但しベートーヴェンは合唱を用い、ゲーテの詩をそのまま歌わせたのに対し、こちらは純粋な器楽のための音楽となっている。つまり詩の内容を器楽だけで表現しており、描写的な標題音楽の走りとなっている。また同年にメンデルスゾーンが作曲した「フィンガルの洞窟」が、スコットランドのヘブリディーズ諸島で見た風景に感銘を受けたことをきっかけに作曲された点にも関連性が感じられる。
第2章 メンデルスゾーンとゲーテの関係
1821年にメンデルスゾーンの師であったチェルターの紹介で2人が最初に出会った時、メンデルスゾーンは12歳でゲーテは72歳であった。メンデルスゾーンはピアノでバッハのフーガと即興演奏を披露し、ゲーテを魅了した。ゲーテは7歳のモーツァルトがフランクフルトで演奏したのを聴いた体験と比較して「メンデルスゾーンがやっていることを当時のモーツァルトに聴かせるのだとしたら、それは大人の教養ある話を幼児言葉の子供に聞かせるようなものだ。」とメンデルスゾーンの演奏を絶賛している。
メンデルスゾーンは計4回ゲーテ邸を訪れた記録が残っており、最後にゲーテと会ったのは1829年、メンデルスゾーンが20歳、ゲーテが80歳の時だった。イギリスからイタリアに向かう道中にワイマールに立ち寄ったメンデルスゾーンは、毎日のようにゲーテ邸を訪問しバッハやヘンデル、モーツァルトの演奏を披露した。またベートーヴェン嫌いであったゲーテに「運命」交響曲の第一楽章をピアノで聞かせて、圧倒的な演奏により感動したゲーテがベートーヴェンを絶賛したのは有名なエピソードである。ゲーテの要望でメンデルスゾーンのワイマール滞在は何度も延長されたが、2週間ほどでメンデルスゾーンは出発することとなる。その際にゲーテは「ファウスト第一部」の初版本に以下の献呈の辞を書き入れ、メンデルスゾーンに贈った。
『私の最愛なる若き友F・M・B(フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ)、力強く優しきピアノの大家へ1830年5月の日々の思い出として J・W(ヨハン・ヴォルフガング)・フォン・ゲーテ』
これがメンデルスゾーンとゲーテの今生の別れとなり、2年後の1832年ゲーテは「ファウスト第二部」を完成させて82年の生涯を閉じることとなる。メンデルスゾーンは「ファウスト第一部」の詞をもとにカンタータ「ヴァルプルギスの夜」を作曲するが、完成したのは1832年で、ゲーテは曲を聴くことなくこの世を去ることとなる。
第3章 楽曲解説
前半「静かな海」の場面はゆったりとしたアダージョで演奏される。低弦(コントラバス)により示された主題が徐々に高弦(ヴァイオリン)に引き継がれていく。(譜例1)しかし海が静かであることによる安堵と、凪により船を進めることができない不安の入り混じったように、音楽は高揚しきらないまま冒頭の主題に回帰して静かに幕を引く。フルートによる「楽しい航海」を予想させるテーマが遠くから鳴り響いた後に、休みなく「楽しい航海」の場面に突入する。
後半「楽しい航海」の場面は、文字通り順風満帆な航海を表現するような軽快な曲調となる。メンデルスゾーンらしい付点のリズムを伴った快活な第一主題(譜例2)と「静かな海」の主題を展開した少しのびやかで甘美な第二主題(譜例3)が交互に繰り返される。曲の終盤ではティンパニの激烈な連打に続いてコーダに入る。トランペットのファンファーレ(譜例4)が歓喜に満ちて目的の港に入港する様子を示した後に、急激に弱音になって曲を閉じる。
□メンデルスゾーン交響曲第5番ニ長調op.107「宗教改革」
第1章 メンデルスゾーンと信仰
メンデルスゾーンの「宗教観」を語るうえで、祖父モーゼフと父アブラハムの存在は欠かすことができないだろう。
メンデルスゾーンの祖父モーゼフ・メンデルスゾーンは1729年にユダヤ人居住地に生まれた。14歳の時に単身ベルリンに赴きドイツ語を取得し、当時のユダヤ人としては考えられない程の教養を身に着けた。哲学者として思想を発表する中で、ドイツ社会で認知されるようになっても、モーゼフはユダヤ教の信仰を捨てることはなかった。むしろ彼は、ユダヤ教もまたキリスト教などと同じ一つの宗教であり、ユダヤ人も人間としてキリスト教徒と同じ権利を持っているのだと主張していたのだ。
そんなモーゼフの6人の子供のうち5番目に当たるのがアブラハムである。アブラハム・メンデルスゾーンは、ドイツのベルリンで兄ヨーゼフと共に銀行の共同経営者をしていた。アブラハムは有能な経営者であると同時に教養も高く、後にベルリンの市参事会議員をも務めた。アブラハムは妻レアとの間に4人の子供を授かり、その2番目が後の作曲家フェリックスである。
幸福で何不自由のないモーゼフの人生であったが、世の中はユダヤ人にとって厳しい情勢へと変化していた。ユダヤ人の権利が制限されるだけでなく、反ユダヤ暴動が各地で発生していた。そんな中ユダヤ人の中には、身を守るためにユダヤ教を捨て、キリスト教に改宗しようとするものが増えてきた。1816年、アブラハムは4人の子供たちにベルリンの新教会で洗礼を受けさせた。その後1822年にアブラハムは妻レアと共にキリスト教に改宗する。さらに「メンデルスゾーン」というユダヤの名残が見てとれる名前の後に「バルトルディ」という名を付け加えた。
フェリックスは音楽家として大成し、パリやロンドンで演奏旅行を行うようになる。その際に父アブラハムはユダヤ人であると悟られないために「フェリックス・Ⅿ・バルトルディ」と名乗るように忠告するが、フェリックスはこれを無視。「フェリックス・メンデルスゾーン」の名前で演奏活動を行い、メンデルスゾーンの名を省くことは決してしなかったのである。
フェリックスはユダヤ人でありながらキリスト教を信仰していることを隠すことに抵抗を感じていた。つまりユダヤ人であることを明示した上で、キリスト教という形の中で真実を追求することは可能だと考えていたのではないであろうか。キリスト教を信仰するユダヤ人であるフェリックス・メンデルスゾーンという人間のアイデンティティーはこのように構築された。そして「宗教改革」交響曲の作曲を始めるのは、父アブラハムに忠告された一件から数か月後のことである。
第2章 作曲の経緯
メンデルスゾーンは1829年12月にこの曲の作曲を開始した。彼はベルリンにおける翌年6月のアウクスブルクの信仰告白の300年祭でこれを演奏するつもりであったが、完成したのは1830年5月で、実行委員会による決定には間に合わず、300年祭に演奏されることはなかった。これについてはまた、彼がユダヤ系であったことが委員に二の足を踏ませたともいわれる。
メンデルスゾーンは完成した交響曲の演奏機会を模索するも、写譜の遅れや体調不良によりことごとく延期となる。改訂された「宗教改革」の交響曲は1832年にベルリンで初めて演奏にこぎつけた。その後この曲の再演はメンデルスゾーンの死後20年以上経った、1868年まで行われなかった。存命中に何度も改訂を繰り返しており、出版の順番により交響曲第5番と名前が付いているが、実際はメンデルスゾーンが21歳の時に書かれた2番目の交響曲である。
第3章 「宗教改革」交響曲の版について
前章で記載した通り、この曲は1832年に初演される際に改訂が加えられ、一般的に演奏されるのは改訂後の版である。
2009年にクリストファー・ホグウッド博士によって校訂が行われたべーテンライター版のスコアでは、1832年の改訂前の状態が記載されており交響曲の初期の状態が分かるようになっている。改訂版では第1楽章では3か所、第2、3楽章では1か所ずつ削除されている箇所がある。さらにもともとは第3楽章と第4楽章の間に、28小節からなるフルートを中心としたレチタティーヴォが挿入されていた。3楽章の重苦しい雰囲気を振り払うような煌びやかなレチタティーヴォの後に、連続して最終楽章の冒頭のコラールへと続く。
本日の演奏会では改訂版で削除された28小節のレチタティーヴォを追加して演奏する。実演で演奏されることは非常に珍しいと思われるため必聴である。
第4章 楽曲解説
第1楽章 Andante – Allegro con fuoco
荘厳な序章主題が中低音楽器によって奏され、上昇しながら繰り返される。(譜例1)教会の祈りの言葉のような管楽器による特徴的なリズムの動機(譜例2)は他の楽章でも重要な役割を果たす。序章主題が奏でられる中に管楽器による動機(譜例3)が登場し、徐々に管楽器が支配的になる。管楽器の強奏から突如として弦楽器による「ドレスデン・アーメン」(譜例4)が神秘的に演奏される。これが繰り返された後に主部へ入る。
序奏で示された動機を基にした第一主題(譜例5)が示され、弦楽器の蠢くような伴奏を伴いながら何度も繰り返される。第二主題(譜例6)は少し落ち着いた雰囲気になるも、すぐに小結尾がきて展開部に入る。
両主題が展開されながら盛り上がりの絶頂を迎えると、再び序奏部の「ドレスデン・アーメン」が現れる。再現部は力尽きたような弱音で第一主題が再現されると、すぐに色鮮やかに展開された第二主題が現れるも長くは続かずにコーダに入る。第一主題が執拗に繰り返されながら盛り上がり、力強く全体でアーメン終止が演奏され曲を閉じる。
第2楽章 Allegro vivace
明るく軽快なスケルツォで、主要主題が冒頭から示される。輝かしく発展した後に少し静かになってオーボエの少しおどけたようなソロと中低弦による優美な主題が対照的なトリオに入る。冒頭に戻ると主要主題が繰り返された後に少しずつ遠ざかっていき、静かに曲を閉じる。
第3楽章 Andante
再び厳かな雰囲気に戻って、ヴァイオリンにより叙情的な主題が奏でられる。この主題は第1楽章の第二主題を展開したもので、超然とした空気の中で曲は進行していく。主題が繰り返されると祈りの雰囲気はより強くなる。楽章の最後は第1楽章の第二主題が今度はそのまま回想され、レチタティーヴォに移行する。
Recit. – Tempo dell’ Andante
低弦による伸ばしから、フルートによる自由なレチタティーヴォ(譜例7)が歌われる。これは第4楽章で登場するコラール「神はわがやぐら」のモチーフから作られており、輝かしい第4楽章を予感させるものである。華やかな雰囲気のまま徐々に楽器が重なると、第1楽章の序奏で現れた動機のリズムも登場する。フルートの美しいカデンツァが奏でられた後に続けて第4楽章に進む。
第4楽章 Choral: Ein feste Burg, Andante con moto – Allegro vivace – Allegro maestoso
いわゆる「宗教改革」と呼ばれるアウクスブルクの信仰告白の中心となった人物、ルターによって作曲されたコラール「神はわがやぐら」(譜例8)がフルートで演奏される。徐々に力強さを増しながら、主部へ突入する。軽快なテンポの中で楽章冒頭のコラールが高らかに鳴り響きながら、盛り上がっていく。第一主題(譜例9)は喜びに満ち溢れたもので、軽快な低音楽器の伴奏に乗って華やかに奏でられる。その後発展的部分となり、攻撃的なフーガが登場する。リズミカルな第二主題(譜例10)が提示されると、ほぼ原形通り第一主題が再現される。大きく展開されたフーガに「神はわがやぐら」のコラールが重なり、第二主題の再現へと続く。曲の最後は教会の鐘がなり響くような祝典的な雰囲気の中「神はわがやぐら」の主題で力強く終わる。
□ブラームス交響曲第3番ヘ長調作品90
第1章 ブラームスとワーグナー
ブラームスの第3交響曲は1883年の5月から10月にかけて作曲されているが、作曲の直前である1883年2月13日、リヒャルト・ワーグナーはヴェネツィアを旅行中に客死している。奇しくも当時のドイツ音楽界は、ブラームス派対ワーグナー派という陣営の対立が激化した時期であったことから、それぞれの目指した音楽と対立に至るまでの経緯を紐解いていく。
ブラームスもワーグナーもロマン派の偉大なる作曲家であるベートーヴェンの影響を受けている点は、同様である。しかしブラームスがベートーヴェンの交響曲の構造・技法に関心を持った一方で、ワーグナーはベートーヴェンの第九に代表されるような和音やモチーフによる表現方法に関心を持った。19世紀の半ばに差し掛かると、ブラームスとワーグナーそれぞれの音楽を支持する勢力が現れ、ブラームスの目指した音楽が「絶対音楽」、ワーグナーの音楽がいわゆる「標題音楽」と区別されるようになった。
ワーグナーは「音楽で物事、哲学、政治に至るまですべてを表現することが可能である」と主張していたが、これに痛烈な批判を浴びせたのが音楽評論家のエドゥアルト・ハンスリックである。ハンスリックは著作「音楽美論」において「音楽が直接表現できるのは感情などの漠然とした概念までであり、特定の概念は表現できない」と主張してワーグナーの意見に反論したのである。ここで「絶対音楽」のハンスリック対「標題音楽」のワーグナーという敵対構造が出来上がった。しかしハンスリックは評論家であり作曲が出来なかったため、自身の芸術観を体現する作曲家としてブラームスを選んだのである。
ワーグナーは1870年にウィーンで催されたベートーヴェンの生誕100周年セレモニーに講演者として招待を受けて快諾していたが、土壇場で出席者リストにブラームスの名を見つけて出席を拒否した。しかしブラームスの音楽的な才能についてはある程度評価しており、1864年にブラームス自身が演奏した「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」を聴いて、「古い様式でも、熟達した作曲家の手にかかると、新鮮なものが出来るものだ」と評価している。
ブラームスがワーグナーを非難したという記録は残っておらず、むしろワーグナーの楽劇の初演に際してその作品を高く評価する内容の記された手紙が残されている。またワーグナーの訃報に接したブラームスは、「巨匠が死んだ。今日はもう何も歌うものはない」と合唱の練習を打ち切ってワーグナーに弔意を表したという。
ブラームス派とワーグナー派の対立は人間関係や政治的思惑などもはらんで激化する一方で、それはワーグナーの死後も変わることがなかった。しかし周囲の思惑とは裏腹に、当人同士は(少なくとも音楽家として)尊敬し合っていたのではないかと思えてしまう。ブラームスはワーグナーの葬儀に追悼のための月桂冠を送るが、ワーグナーの妻コジマは戸惑い「私が知るにはブラームスは私たちの芸術の友ではありませんでした。」と友人に語り、受け取りを拒否したと伝えられている。
第2章 モットーについて
ブラームスは交響曲第1番ではC-C♯-D、第2番ではD-C♯-Dという基本動機を用いていたが、第3番では基本動機からさらに発展させた形でモットーを使用している。曲の冒頭で示されるF-A♭-Fという和音が交響曲のあちこちに現れる。またモットーを素材として、和音を展開したり旋律を作り出すことにより交響曲全体の性格を決定づけている。
このF-A♭-Fという音型が誕生した経緯については関連する作品である「F.A.E.ソナタ」について考察する必要がある。
F.A.E.ソナタは1853年にロベルト・シューマン、アルベルト・ディートリヒ、そしてブラームスの3人によって作曲されたヴァイオリンソナタである。シューマンが第2、4楽章を、ディートリヒが第1楽章を、ブラームスが第3楽章を作曲し、3人の共通の友人であるヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムに献呈された。
曲名のF.A.E.とはヨアヒムのモットーである「自由だが孤独に」(Frei aber einsam)の頭文字であり、このF-A-Eという音列が曲の重要なモチーフとなっている。
このヨアヒムのモットーに対応するのがブラームスの「自由だが楽しく」(Frei aber froh)というモットーである。しかしブラームスの交響曲第3番ではF.A.E.ソナタと違い、aberのbを♭に見立ててF-A♭-Fという音形にしている所がブラームスらしい。実際に交響曲の主調がへ長調であるのなら、単純にF-A-FとすべきところをF-A♭-Fというへ短調に属する音型を用いることにより、長調と短調の葛藤が生じ、全曲の性格に決定的な影響を与えている。
第3章 楽曲解説
第1楽章 Allegro con brio
管楽器によりF-A♭-Fモットーが示されて曲が始まる。(譜例1)続いて,ヴァイオリンが高音で熱のこもった第一主題(譜例2)を演奏する。この部分では冒頭のモットーは低音部に登場する。静かな経過部を経て、クラリネットによって柔らかい第二主題(譜例3)が4分の9拍子で示される。メロディの始まりが小節の始まりからずれて記譜されることにより、音楽の印象を滑らかでないものとしている。提示部を反復した後に、展開部に入り低弦が暗い情熱を携えた嬰ハ短調に変わった第二主題を演奏する。少しずつ静まるとホルンがモットーに基づいた旋律を示して、第一主題の主題を繰り返しながら高まって、再現部に達する。コーダではモットーと第一主題が絡み合い、収束されて収まり消え入るように曲を閉じる。
第2楽章 Andante
この楽章はティンパニとトランペットが完全に休みとなっており、楽章全体が安らかで落ち着いたものとなっている。クラリネットを中心とした木管四重奏による穏やかな主題で始まる(譜例4)。時折加わる弦楽器が第一楽章のモットーを暗示する。主題を変奏しながら展開し、明るくなったと思うとまた陰りをみせる。中間部はクラリネットとファゴットによりコラール風の旋律が奏でられる。(譜例5)やがて楽章冒頭の穏やかな主題が回帰して、静かにこの楽章を終える。
第3楽章 Poco allegretto
この楽章は前楽章からさらにトロンボーンが省かれている。チェロによる憧れと哀愁に満ちた主題が提示される。(譜例6)美しい主題に現れる五連符による刺繡音は、当時ブラームスが恋焦がれていたという若きアルト歌手のシュピースへ向けたものか、はたまたワーグナーを偲ぶものなのか。主題は楽器を変えて3度現れる。
中間部は木管楽器によるスケルツォ風のもの。しかし音楽はすぐに愁いを帯びたものになり、徐々に失速していく。冒頭の主題がホルン、オーボエ、そして最後はヴァイオリンとチェロで奏でられた後、最後は切なく儚げに曲は終わる。
第4楽章 Allegro – Un poco sostenuto
ファゴットと弦楽器による蠢くような第一主題(譜例7)で開始される。トロンボーンの同音反復に導かれて、第2楽章で登場したコラール風の旋律が登場する。急激に盛り上がり第一主題が攻撃的に演奏された後に、今度は明るく喜ばしい第二主題(譜例8)がチェロとホルンによって奏でられる。また激情的な音楽に戻り、収まると再現部となり木管楽器により第二主題が演奏される。コラール風の旋律が今度は力強く現れ曲の頂点を作り出した後、今度はへ長調で第二主題が登場するが、また一転して短調へと戻り第一主題が力強く奏でられる。第一主題が表情を変えながら繰り返される中で、徐々に音楽は歩みを遅くし悠然とした雰囲気となる。弦楽器の滑らかな伴奏に乗って、神々しく響くコラール風の旋律。チェロによる第一主題の断片に導かれて交響曲冒頭のモットーが回帰した後に、第1楽章の第一主題が弦楽器により回想されて静かに曲を閉じる。